「買うもの」がなくても「店」に入ります。
2019年11月27日
4、815-〇 「買うもの」がなくても「店」に入ります。
私にとっての「店」とは、行きつけの食品スーパーやホームセンターのことです。
日によっては、まったく買うものが無い日もあります。
しかし毎日のように夕方になると車で自宅を出て、行きつけの「店」に入ります。
本当に何の買い物も一切しないまま帰宅する日もあります。
ところが「店」の中の人や品物から受ける「刺激」は、私にとっては心を満たしてくれる「かけがえのない刺激」にほかなりません。
長い一年の間には、やむを得ない事情によりまして、自宅に引きこもらざるを得ない日が何回かあります。
そのような日の翌日は、やはり「生活リズム」が不安定に揺れ動いているのが、はっきりと感じられます。
Posted by 具志堅興清 at 20:09│Comments(2)
│家族ばなし(思い出話全般)
この記事へのコメント
わかります
わかります
ヤーグマイ続くと
体的にも、心的にも
刺激が必要で
スーパーへ行って、お! 大根安いな~、でも今日は要らないなー
それで満足です
わかります
ヤーグマイ続くと
体的にも、心的にも
刺激が必要で
スーパーへ行って、お! 大根安いな~、でも今日は要らないなー
それで満足です
Posted by 友利 at 2019年11月27日 22:10
友利さん。
読んだ後、心地よい余韻が胸一杯に広がるのを実感してくる“コメント”を、ありがとうございます。
友利さんの“コメント”によって私は、コミュニケーションにおける「共感」の重さを、改めて学習いたしました。
ありがとうございました。
読んだ後、心地よい余韻が胸一杯に広がるのを実感してくる“コメント”を、ありがとうございます。
友利さんの“コメント”によって私は、コミュニケーションにおける「共感」の重さを、改めて学習いたしました。
ありがとうございました。
Posted by 具志堅興清
at 2019年11月28日 09:21
