プロフィール
具志堅興清
具志堅興清
針灸開業歴四十六年。
中国針専門。
得意は脈診(みゃくしん)。
具志堅鍼灸治療院

治療時間
午前9時~午前11時
午後2時までは昼休み
午後2時~午後4時

日曜日は毎週、休みです。
公休日は治療しています。
針治療するハリは、衛生的で安全な
使い捨て針を使用しています。

治療料金は2,000円です。

新しい針灸院は、「幸地入口バス停」の奥にある「首里福音教会」前の急坂道の裏の行き止まりにあります。
西原町字幸地 586―20 が新住所名です。



      ●●●●●
 


 







最近のコメント
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 27人
てぃーだブログ › 「針灸おじさん」=具志堅興清

【PR】

  

Posted by TI-DA at

昔から短文作成は得意でした。

2024年07月07日

5,436-◎ 昔から短文は得意でした。

 小学生時代から短文作成は、得意中の得意でした。

 失くしたものを血眼になって探すよりも、今ある才能をさらにのばせばいいではありませんか。  

Posted by 具志堅興清 at 10:09趣味

若き日の闘病と老いの日の闘病の違い

2024年06月30日

6,435-◎ 若き日の闘病と老いの日の闘病の違い

 若い時代の闘病生活は、本当につらかった。

 早く病気を治して再びの出発をしなければならないからだ。

 老いの日の闘病は、周りが想像するよりはつらくはありません。

 再出発の焦り感が全くないからです。

 それに自宅療養ですと、何十年間もかかって貯えた「健康法」の数々を朝から晩まで試すので、それに時間を使うので、全く退屈な時間なんて存在しないからです。

   

Posted by 具志堅興清 at 20:01家族ばなし(思い出話全般)

心苦しさの分散化

2024年06月29日

6,434-◎ 心苦しさの分散化


 裁判席には複数の裁判官たちが鎮座しています。

 大変な冤罪事件でも裁複数の裁判官で責任を分散化すれば、責任を痛感して、裁判官が自裁しないですむからです。

 学校教育や行政の現場では、よく何とか委員会を設置して重大事件を採決いたします。
 
 たとえ間違った採決でも個人的には責任は微々たる量になるためです。

 哀しみの分散化もございます。

 私の妻と義母は親一人子一人でした。


 妻が急逝した時、義母の悲しみたるや、想像を絶するものがございます。

 義母は、妻が死んだ後、10年間も孫たちの母親代わりを務めてくれました。  

Posted by 具志堅興清 at 09:38人生論

自分自身で百会(ひゃくえ)のツボに灸を据える。

2024年06月28日

6,433-◎自分自身で 百会(ひゃくえ)のツボに灸を据える。

今日から百会(ひゃくえ)の灸を始めました。

 百会は、いかなる種類の頭痛にも対応できるツボです。

 両方の耳の上端えお結んだ線の真ん中に位置しております。






































8  

Posted by 具志堅興清 at 09:08「針灸医学」

今日は診察日

2024年06月27日

6,432-◎ 今日は診察日

 今日は診察日です。

 午後の1時過ぎに三男と出かけました。

 開口一番に主治医の山城先生が大きな喜びの声をあげました。

 「見違えるように顔色が良くなったではありませんか」

 「はっきりさせた先生のおかげです」

 「はっきりさせることで、心の中の疑念が一掃さるのです」

 「まさしく、その通りです。私にとりまして山城先生は神様です」  

Posted by 具志堅興清 at 18:45家族ばなし(思い出話全般)

何事もハッキリさせたほうがいい。

2024年06月26日

6,431-◎ 何事もハッキリさせたほうがいい。

 何事もモヤモヤ状態では心がスッキリしません。

 意を決してモヤモヤをハッキリさせると気持ちいいぐらいに心がスッキリするものす。  

Posted by 具志堅興清 at 22:20人生論

孤独に強い心にするは弱い心が土台になります。

2024年06月26日

6,430-◎ 孤独に強い心にするには弱い心が土台になります。

 自分を強い心の持ち主だと思い込んでいる若者は、絶対に将来、孤毒に強い人間にはなれません。


 彼は、自分を孤独に強い人間に鍛える機会が無いからです。

 自分を弱い心の持ち主だと思い込んでいる若者は、将来、確実に孤独に強い心を手に入れることができます。
 
 彼は、沢山の孤独との闘いに恵まれているからであります。  

Posted by 具志堅興清 at 13:57人生論

あなたは、どの生き方を選びますか。

2024年06月26日

6,429-◎ あんたは、どの生き方を選びますか。

 修行を積んで最高の地位に昇りつめた坊さんがおりました。

 高名と財産とを手に入れて、隠れ妾までいました。

いよいよ最後の番、偉い坊さんは「死にとうない・死にとうない」を繰り返しながら手足をばたつかせておりました。

 愛する爺さんに先立たれた田舎の名もなき婆さんのお話でございます。

 いよいよ婆さんに最後の時がきました。

 婆さんは、思わず歓喜の声をあげて、自らを祝福いたしました。  

Posted by 具志堅興清 at 11:43人生論

「病気学校」と「健康学校」

2024年06月26日

6,428-◎

 「病気学校」と「健康学校」
 
 私は十代の周番から二十代全般にかけての十余年間を闘病生活ですごしました。

 いわゆる「病気生活」に明け暮れました。

 結核、大学進学も断念しましたし、其の幹、まったく職にも就いておりません。

 自分でも極めて優秀な成績で「病気学校」を卒業したものと確信しています。

 「病気学校」を卒業してからは、逆に病気を治す立場に転身いたしました。

 病院で専門医師から『今後、確実に厳しい戦いが待っています」と告知された時にも何ら心に乱れが鳴ったのは、過去にすでに厳しい体験えおしてきたからであります。  

Posted by 具志堅興清 at 08:18人生論

欠陥だらけの私ならば失敗して当然です。

2024年06月25日

6,427-◎ 欠陥だらけの私ならば失敗してとうぜんです。

 中学校生活3年間を通して「夏休み日記:」を提出するのはクラスで私ひとりだけでした。

  私の日記は、自分の失敗ばかりが書かれてありました。

  クラスの友人に尋ねると「自分には君のように自分の失敗を書くのは、恥ずかしくてできない」と答えてくれました。

  私は、自分の失敗を後悔いたしません。

 しかし、たった一度だけは後悔したことがございます。


 妻が若くして急逝した時です。

 「たくさん、ほめてあげればよかった」

 しばらくは、ほめ下手の自分を大いに責めました。  

Posted by 具志堅興清 at 20:23人生論

亡き妻とは父子ほどの年齢差になりました。

2024年06月25日

6,426-◎ 亡き妻とは父子ほどの年齢差になりました。

 私は、よぼよぼの数え85歳になります。

 妻は、数え58歳で亡くなりました。

 がっしりした体格の体力にも腕力にもめぐまれたじょせいでした。

 体力にも腕力にも恵まれた女性でしたが、まれにみる心優しい人で、私の子供にお母さんから叩かれて子はひとりもいません。

  ちなみに父親の私は、娘以外は全員たたきました。

 亡き妻の超まれな心優しいエピソードがございます。

 妻が高校生時代、慎類の足の悪い老婆をおぶって那覇の百貨店を見物させたはなしです。

 妻の故郷では、あまりにも有名な話です。 

 私は結婚前から、その感動的な話を伝え聞いておりました。  

Posted by 具志堅興清 at 16:11家族ばなし(思い出話全般)

娘よ。父の日のクスリのプレゼントありがとう。

2024年06月25日

6,425-◎ 娘よ。父の日のクスリのプレゼントありがとう。

 ありがたく使わせていただきました。

 そして、そのクスリの使用は、私の病院行きの強力は後押しをしてくれました。
 
 ありがとうございました。  

Posted by 具志堅興清 at 14:09家族ばなし(思い出話全般)

息子よ。父の日の豪華な弁当をありがとう。

2024年06月25日

5、424-◎ 息子よ。父の日の豪華な弁当をありがとう。

 あの日、お前が作った豪華な弁当、残念ながら口の中では食べられませんでしたが、心の中では、おいしく満足にたべました。

 ありがとうございました。

 大変、美味しかったです!  

Posted by 具志堅興清 at 14:04家族ばなし(思い出話全般)

私が息子に蛸を差し入れする理由

2024年06月25日

6,423-◎ 私が息子に蛸を差し入れする理由

 私は買い物帰りには、決まって息子への差し入れ用のた顔をかいます。

 理由が、この世の中に蛸ほどのご馳走は有り得ないと信じて疑わないからであります。

 子供だった頃、父や母のお祝い土産の最高ランクは、蛸でした。

 蛸が満足に食える身分になりたいのが一番の夢でした。

 老いた父親の夢で大迷惑しているのは息子に違いありません。  

Posted by 具志堅興清 at 10:45家族ばなし(思い出話全般)

弱いから付き合えるのです。

2024年06月25日

8,423-◎ 弱いから付き合えるのです。

 ガンは、底維持の悪い「こじゅうと」のようなものです。

 強い嫁では、とても付き合いきれません。

 弱くて苦労人の嫁奈良ば十分に付き合える相手です。

 人間世界では、苦労人ほど強い人は存在しないからです。

 底いじの悪い相手には、戦うのではなく、最初から負けてかかればいいのです。  

Posted by 具志堅興清 at 10:19人生論

「ふだんの日常」こそが「最高に幸せ」なのです。

2024年06月25日

5,422-◎  「ふだんの日常」こそが最高に幸せなのです。

 今海、総合病院に出かけるに当たって、当初から最悪の最悪を確信しておりましたので、即入院を覚悟して大袋3つを持参して行きました。

 受付の看護師から、今現在の病院の状況では、とても入院できませんよと言われた時には、むしろ私は心から安どいたしました。

 これで、自宅で「ふだんの日常」が実現できるからであります。

 特に私のような老年の男にとりましては、自由気ままにふるまえる生活環境にまさる天国極楽はございません。  

Posted by 具志堅興清 at 08:37人生論

息子も父親の癌はなし執筆を快諾する。

2024年06月25日

6、421-◎ 息子も父親の鴈はなし執筆を快諾する

 ここのところ、私のパソコンは故障続きでした。

 ブログで自分の鴈の話題を執筆するにも肝心のパソコンが故障では実現のしようがありません。

 早速、父親の重いを息子に伝えたところ、むしろ大いに喜んでくれました.

 同時にパソコンも直してくれました。。  

Posted by 具志堅興清 at 02:17家族ばなし(思い出話全般)

病気は隠すべきではありません。

2024年06月25日

6,420-◎  病気は隠すべきではありません。

 病気は決して恥ずかしいことではありません。

 何の悪いことはしていないのに病気になることが、けっこう有るからです。

 私たち弱い人間が病気と付き合うにが、獏台菜炎ルギ―を必要とします。

 他人さまからの、ささいななさけも大いに助力になります。

 したがって、人は、自分の病気を隠すべきではありません。  

Posted by 具志堅興清 at 01:45人生論

老後のパートナーができました

2024年06月24日

5,419-◎ 老後のパートナーができました

  

 できたてのCT画像を見ながら耳鼻科のY先生が口を開きました。

 「具志堅さん。予想していたでしょう」

 「はい、先生、ほとんど予想しておりました」

 「具志堅さん、あなたは藁性の腫瘍であります」

 実を申し上げると、絶望なんて爪先程もございません。

 至って気難しい性格のわたくしに全く不足のないパートナーを見つけた「やる気満々」のほうが大きいいのであります。
    

Posted by 具志堅興清 at 20:47人生論

兄貴よアリガトウ!

2024年05月27日

6,418-◎ 兄貴よアリガトウ!


 今日の朝、突然に閃きました。

 まだまだ完治には至らない舌の治療法です。

 それは、アロエによる治療法です。

 実は、わが家の二階のベランダには、数年前に亡くなった兄が残したアロエが大きく成長しているのです。

 早速、アロエの葉を切り取り自家製のすりおろし器ですりおろしました。

 すりおろしたアロエを口いっぱいに含み。10分間含んだ後で吐きだしました。

 兄は生前から、私にとりましては神様のような存在でした。

 いろんな方面で助けられました。

 そして死んだ後も、弟の私は兄が残してくれたアロエがで助けられています。  

Posted by 具志堅興清 at 14:43家族ばなし(思い出話全般)

「ナラーシ上手」

2024年05月16日

6、417-◎ 「ナラーシ上手」

 沖縄方言に「ナラーシ上手(じょうず)」という言葉がございます。


 直訳すると「教え上手」となります。

 ところが実際は、「ナラーシ上手」という言葉は「教え下手(べた)」の意味として使われました。

 いわゆる知ったかぶりのおt調子者」のことであります。

 幼稚園生や小学校校低学年生ぐらいまでの子供には通用しても、小学校高学年以上の人間には、もはや通用いたしません。  

若い時の弱い体のほうが長生きする。

2024年05月14日

6,415-◎若い時の 弱い体のほうが長生きする。

 私には、94歳になる兄がおります。

 もうひとり、89歳になる兄もいます。
 
 お二人とも、頭脳も体力も健在です。

 お二人とも、若い時には、あまり健康には恵まれてはいませんでした。

 その他の非常に健康に恵まれていた兄たちは、すでに旅立ちました。

 私も若い時代、10年あまりも闘病に明け暮れました。

 闘病当時は、弱いt体に生んだ親を恨みました。

 しかし84歳の今現在は、むしろ親には弱い体に生んで切れてくれて心から感謝しております。

 若い時の弱い体は、健康法だけでなく色々様々な人生哲学を直接的に教育してくれるからであります。  

Posted by 具志堅興清 at 11:50家族ばなし(思い出話全般)

甕(かめ)一杯のニンニク漬け

2024年05月13日

6、414-◎ 甕(かめ)一杯のニンニク漬け

 当時の台所には特別に自家製の味噌や自家製の漬け物を蓄える保管室が設けられてありました。

 保管された漬物は、ニンニクの漬け物でした。

 農家の子供たちは、遠くの畑や山に仕事の手伝いに出かける時、二三個のニンニク漬けを庭の芭蕉の若葉に包んで、みちすがら食べました。

 よく亜熱帯の沖縄では、漬け物の食文化が発達しなかったといわれていますが、唯一の例外が「ニンニク漬け」でした。

 ところが今の沖縄の台所には、ニンニク漬けの甕(かめ)など、全く存在いたしません。  

Posted by 具志堅興清 at 09:43家族ばなし(思い出話全般)

カーネーションをありがとう!

2024年05月12日

6,413-◎ カーネーションをありがとう!

 今日は「母の日」です。

 お昼ごろ、那覇の松川に住む息子の彼女さんが息子とともに「母の日」のカーネーションを持参して訪れました。

 早速、水入れに入れて亡き妻の仏前に供えました。

 おそらく仏壇の母親も涙を流して喜んでいることでしょう。  

Posted by 具志堅興清 at 12:32家族ばなし(思い出話全般)

大坂の嫁さんと孫が訪ねてきました。

2024年05月12日

6、412-◎ 大坂の嫁さんと孫が訪ねてみました。

 昨晩、美奈さんが子供2人を連れて訪ねてきました。

 美奈さんは大坂で暮らす息子の嫁さんです。

 ピカピカの一年生の「なのちゃん」と生まれたて3か月の「愛奈(まな)ちゃん」を連れての訪問です。


 長女のなのちゃんが、すっかり一人前の美人さんになっていました。

 次女の愛奈(まな)ちゃんは、見るからに健康な赤ちゃんに育っておりました。

 いとこの幼稚園生の絆愛(りずな)ちゃんが、可愛い妹をあやすように、ずっと愛奈ちゃんを抱っこしていました。

 なお、今回、同道できなかった息子からは、父親の私へお年玉が託されました。

 息子からのお年玉は初めてのプレゼントです。

 完全に父子の立場が逆転しました。

 父親にとりましては、こんなに嬉しい逆転はございません。

 息子よ。お年玉をありがとう。  

Posted by 具志堅興清 at 06:32家族ばなし(思い出話全般)

「絹ごし豆腐」

2024年05月08日

6,411-◎ 「絹ごし豆腐」

 私は肉食はいたしません。

 その代わり豆腐は毎日、食べております・

 今では、私は、もっぱら「絹ごし豆腐」を好んでたべています。

 老年特有の歯力と舌力の衰えから「絹ごし豆腐」を食べるようになりましたが、「絹ごし豆腐」の美味しさに初めてきづきました。

 「絹ごし豆腐」にもいろいろの種類がございます。

 今は、一番にやわらかい「絹ごし豆腐」を藍陽しております。  

Posted by 具志堅興清 at 09:56家族ばなし(思い出話全般)

一番の親友は自分の中に居ります。

2024年04月27日

6,410-◎ 一番の親友は自分の中に居ります。

 今の私は、爪の先ほどの孤独を感じたこともございません。

 それは、自分の中に、もう一人の親友が棲んでいるからです。

 確かに若い時代は孤独地獄の中にいました。

 孤毒地獄のなかで、ドぅーチュイムヌイ―(独り言)を繰り返すうちに、いつのまにか、自分の中に、もう一人の自分、すなわち、かけがえのない親友が生まれました。  

Posted by 具志堅興清 at 13:30人生論

天国の息子よ有難う。

2024年04月24日

6、409-◎ 天国の息子よ有難う。


 お前が遺(のこ)してくれた泡盛でお父さんは救われました。

 あんなに苦しかった舌の痛みも、今では、かなり楽になりました。

 一日に10回は泡盛を口いっぱいに含んでおります。

 いわゆる舌の患部のアルコールによる消毒滅菌です。


 思えば、父親の私は、たびたび子どもたちに救われました。


 二十数年前、耳に水がたまって聞こえなくなったときには慎一に救われました。

 毎朝、慎一が那覇工業高校への登校の途中、耳鼻科の順番取りをしてくれました。

  近年では、平衡機能が破たんして蛸れた際には、雅樹と嫁さんのアサミちゃんが迅速に対応してくれました .

 アサミちゃんが適当な搬送先の病院を、すばやく探し出してくれたのです。  

Posted by 具志堅興清 at 12:34家族ばなし(思い出話全般)

今、とまとと人参が超安い

2024年04月17日

6,408- 丸 今、とまとと人参が超安い


 私の食生活にトマトとニンジンは不可欠な食材です。

 昨年は猛暑の影響でトマトの値段が急騰して非常に困りました。

 しかし、現在、トマトの値段が安くて大いにたすかっぇおります。

 にンジンは沖縄地方では年中、安いです。  

Posted by 具志堅興清 at 15:52家族ばなし(思い出話全般)

泡盛に救われる

2024年04月14日

6,407-◎ 泡盛に救われる

 数年前、大好きだったビールをやめました。

 いわゆる断酒です。

 きっかけは頭鳴(ずめい)でした。

 頭のまんなかで何千もの蝉が、いっせいに鳴きだす症状です。

 それ以来、酒は一切のんでいません。

 二か月前、舌の付け根にデキモノが出来ました。

 自己診断の結果、悪性ではありません。

 しかし、あれこれ試みるのですが、なかなか消えてくれません。

 たまたま亡き息子の遺品を整理していると、一本の泡盛がでてきました。

 ふたをあけて、口いっぱいに泡盛を数分間含んでおりますと、みるみるうちに舌の痛みがやわらいできました。  

Posted by 具志堅興清 at 08:48家族ばなし(思い出話全般)