プロフィール
具志堅興清
針灸開業歴四十余年。 中国針専門。 得意は脈診(みゃくしん)。 具志堅鍼灸治療院 治療時間 午前9時~午前11時30分 午後2時までは昼休み 午後2時~午後7時 日曜日は毎週、休みです。 公休日は治療しています。 針治療するハリは、衛生的で安全な 使い捨て針を使用しています。 新しい針灸院は、「幸地バス停」の奥にある「首里福音教会」前の急坂道の裏の行き止まりにあります。 西原町字幸地 586―20 が新住所名です。
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てぃーだブログ › 「針灸おじさん」=具志堅興清

「価値観」は「相性」を決める大きな要素です

2012年02月23日

1、509―〇 『 「価値観」は「相性」を決める大きな要素です 』


 「相性(あいしょう)」とは、人間と人間とが「気心」が合うかどうかの各々の性格的要素をいいます。

 人間対人間の「相性」ですから必ずしも「男女の相性」とは限りません。

 人間関係においては、男女関係のみならず、親子関係においても、兄弟姉妹関係においても、すべての組織内において「相性の良い関係」もあれば「相性の悪い関係」もあります。



 さて、私は「体質」を通してみた「人間対人間の相性」の長年の研究家を自称しています。

 やはり主には「男女の相性」の研究家を自称しています。

 「体質」とは。申すまでもなく「肉体の個性」です。

 人間には「肉体の個性」のほかに「精神的個性」が存在します。

 人間の「精神的個性」のことを、「性質」あるいは「性格」と呼んでいます。


 ところで人間いは各人に違った「価値観」があります。

 「価値観」の形成には、その人の生来の性質(性格)が土台ではありますが、人生行路で遭遇する色々様々な体験(幸運や不運など)も大きく影響してきます。


 いわゆる「上流志向」と「底辺志向」は、その人の有する「価値観」によって区分けさせられます。


 私は生まれて70四年間、一度として「上流志向」を経験しておりません。

 つまり根っからの「底辺志向」です。

 「底辺志向」は若い未婚者でも男性には、けっこう居ます。

 しかし若い未婚者の女性には、ほとんど居ません。

 当然でしょう。

 女性は、子どもを生んだあと、だれが劣悪な環境を望むでしょうか。

 女性は、子どもを生んだ後、だれもが子どものために、よりよい環境を欲します。

 私の大好きな日本文学の古典に「芦刈」という作品があります。

 田舎暮らしの貧しい男女が、別れて各々の人生航路を辿る物語です。

 女性は都(みやこ)の優雅な生活を手に入れます。

 男は田舎に残って、貧しい生活に甘んじます。

 果たして田舎に居残って貧しい生活のままの男のなかに「底辺志向」の男の本当の精神(こころ)を見出すのは私ばかりでしょうか。

 私以外の「底辺志向」の男には、その男の貧しい生活に共感するのが少なくないのではないでしょうか。  

Posted by 具志堅興清 at 20:35Comments(0)人生論

私の「ビンボー」は保証されました!

2012年02月22日

1、508―〇 「私の「ビンボー」は保証されました! 』

 私の「ビンボー」は保証されました!

 私の大好きな「ビンボー」は確実に保証されました!


 今日、松川時代の患者3人から「今から訪ねていきます」との電話がありました。

 しかし一人も私の元に辿り着くことが出来ませんでした。

 電話の際、私は相手に釘を刺しました。

 「絶対に一回では探せない所に移りました。近くの別の治療院を探したほうが得策だと思いますが・・・」

 「センセイ。この半か年間、別の治療院に通っていました」

 「それでは、その治療院を継続して通えばいいのではありませんか」

 「センセイ。どうせ沖縄県内です。スイスイと簡単に探してセンセイをアッと驚かせましょう!」



 時代は大きく変わりました。

 私どもの周辺からマチヤグヮー(店小)をはじめとして「小規模の店」が全滅しました。

 かって、これらの店は周辺の住居探しの道案内役を果たしました。

 大切な道案内役が全滅した現在、私の新しい治療院を探せるのは、インターネットの地図やカーナビを操作できる方々だけです。

 おかげで、私の大好きな「ビンボー」は、確実に保証されることになりました。  

Posted by 具志堅興清 at 20:00Comments(0)人生論

「一人娘への私信」

2012年02月21日

1、507-〇『 「一人娘への私信」 』

 お前の彼氏に、お父さんは一目惚れしました。

 初対面は、おばぁが息を引き取った直後の緊迫した場面でしたが、まずは、おばぁがお前の彼氏に一目惚れしていたこともあって、私には彼とは何年も前からの知り合いのような感覚での初対面でした。

 本当に、すばらしい男性です!


 それに、おばぁの法事でお会いした彼氏の御両親もまた、すばらしい方々でした。

 私は、お会いしたその晩のうちに彼氏のお父さんの大好きな「古城」に挑戦しました。


 もし、お前の彼氏のお父さんやお母さんとカラオケを御一緒できる機会があれば、お父さんは喜んで応じます。

 その時は、お母さん代わりに「演歌の王様」のわが家の長男も一緒です。

 その時は私はもちろん、お前の彼氏のお父さんの大好きな「古城」を歌います。

 ただし、娘よ。条件があります。

 その時は、お父さんは「同級生会」へ出かける時のように「弁当持参」で出かけます。

 お前の彼氏の御両親ならば、平気でお父さんの「弁当持参」を許してくれると思います。  

Posted by 具志堅興清 at 21:09Comments(0)家族ばなし(思い出話全般)

「菜食主義」を貫くための条件

2012年02月21日

1、506ー 〇 『「菜食主義」を貫くための条件 』

 私は基本的に「菜食主義者」です。

 基本的にというのは、たまに実験的に「菜食主義」を崩す時があるからです。

 たまに「肉食」も試みる勇気がなければ、「菜食主義」の良さは分かりません。

 たとえば、先日、私は沖縄料理の一番の美味の「ラフテー」を実験的に食べて、見事に風邪を引きました。

 ところで私のように「菜食主義」を貫くためには色々様々な条件があります。


 まず「人から嫌われたくない人」か、あるいは「人から好かれたい人」には「菜食主義」はお奨めできません。

 私のように「人から好かれないでもいい」、あるいは「人から嫌われてもいい」という所まで心を落とせる人でなければ「菜食主義」は貫けません。

 たとえば、たとえ最愛の女性から食事を誘われても私は「私は行きません!」ーと即答できます。

 母親を亡くした息子や娘から食事を誘われても私は「私は行きません!」-と言いい続けてきました。

 野菜のカロリーなんて知れています。

 限られた僅かなカロリーで肉食なみのカロリーを消費したのでは、遠からず体の調子は狂ってしまいます。

 過去、超美貌の独身女性や最愛の息子や娘からの外食の誘いを断固として謝絶してきたことを、この場を拝借してお詫び申し上げます。  

Posted by 具志堅興清 at 20:31Comments(0)人生論

「サトシ君も読んでいた」

2012年02月21日

1、505―〇 『 「サトシ君も読んでいた」 』

 サトシ君は、息子の子どもの頃からの無二の親友です。

 サトシ君は、歌舞伎の二枚目も顔負けの超イケメン男です。

 おばぁ亡き後の法事に彼女(フィアンセ)をともなって焼香に訪れてくれました。


 サトシ君は、かって私がブログに書いた連続ものの「サトシ君も読んでいた」の主人公です。

 ちなみに「サトシ君も読んでいた」は、サトシ君が自宅療養中の母親を連れて私の元へ針灸治療に訪れた際の母子の光景を日記風にまとめた記事です。

 私は、いままで男の子が母親が病んだ時、あれほどの献身的な介護をする姿を目の当たりにした事が全くありませんでした。

 ですから、サトシ君親子が針灸治療に訪れる日は、お二人から沢山の感動を頂戴しました。



 今回、おばぁ(義母)が末期がんと判明した時、私は彼女の孫たち(私の子どもたち)の介護や看病を克明に記しておかなければとういう思いが閃きました。

 しかし病気の内容が内容だけに、やはり「書いてはいけない」ことに気付きました。

 私がブログに真実を書いて、何らかのルートで病人の耳元に届いては「まずい結果」をもたらすからです。

 ですからブログへの記事は、おばぁの生前は病名を伏せたまま、なるべく簡略に努めました。

 祖母と孫たちとの最後の4ヶ月間の生々しい交流の姿は、今は孫たちそれぞれの心の保管庫に大切に保管されているはずです。  

Posted by 具志堅興清 at 14:08Comments(0)ブログ投稿ばなし

人生、花を咲かせなくてもいい!

2012年02月20日

1、504―〇 『 人生、花を咲かせなくてもいい! 』


 朝、電話が鳴りました。

 私は直感でM子さんだろうと思いました。

 やはりM子さんでした。

 「どうして分かったの?」

 「娘のインターネットで調べてもらいました」

 「あの超親孝行者のリエちゃんに調べてもらったの?」

 「そうです。リエに調べてもらいました。それでセンセイは大丈夫なんですか?」

 「大丈夫も大丈夫。大元気ですよ!」


 そういえば、10年前の妻が急逝した際にも、M子さんは死んだ二週間目に治療に訪れました。


 その際には、私は、あまりにも心配そうなM子さんの先手を打って声を発しました。

 「M子さん。私は妻の死ぐらいで崩れたりは絶対に致しません!あと30年は針灸の仕事を続けますよ!」

 
 その日、治療中、M子さんの口からは一声も言葉は出ませんでした。

 彼女は治療中、私の妻の死を悼んで涙を流し続けました。

 私にとっては心から感謝した彼女の涙でした。


 私のレギュラー患者の中には「凝り」によって人生が大きく狂わされた方々が少なくありません。

 M子さんも、その一人です。

 M子さんの通院歴は十数年になります。


 治療の初めのころ、私は、彼女ほどの美貌と頭の良さに恵まれた女性に、「凝らない青春」を経験させてあげたかったなあと、つくずく彼女に代わって無念に思いました。


 ところが、その後、善人そのもののご主人や親孝行者の娘のリエちゃんにお会いして私の彼女に対する同情は一掃されました。

 すばらしいご主人です。

 すばらしい娘さんです。

 M子さんは、「凝り」で失った青春を、その後の人生で、シッカリと取り戻して おられたのです。

 「凝らない青春」-つまり「超美貌」と「超頭の良さ」のなかでは彼女に超善人の御主人や超親孝行者のリエちゃんなどが与えられることはなかったでしょう。

 万全な「体質」と「超美貌」と「超エリートの才能」は、確実に思い上がりの「傲慢」を生みます。

 「傲慢」のなかで超善人の御主人との出会いなどありえません!

 超善人の御主人との出会いなくして超親孝行娘のリエちゃんが生まれるはずがありません!  

Posted by 具志堅興清 at 21:54Comments(0)人生論

「野菜ンブサー」

2012年02月19日

1、503―〇 『 「野菜ンブサー」 』

 子どもの頃、農家でしたので来る日も来る日も主食の御飯やイモの副食物として「野菜ンブサー」が出されました。

 ちなみに「野菜ンブサー」は「野菜ンブシー」とも「オオファ・ウンブサー」ともいいます。

 野菜の「味噌煮」のことです。

 味付けされた味噌汁の中に野菜を叩き込んで出来上がる至極簡単な料理です。

 しかし私は「野菜ンブサー」を沖縄料理の「健康食」の最高傑作だと高く評価しています。


 かっての貧しい頃の「野菜ンブサー」は味噌汁のダシに豚脂を絞り取った油粕を用いていました。

 今の私は「野菜ンブサー」の味噌汁のダシに「ツナ」を用います。


 さて、今日の夕方、行きつけのスーパーに立ち寄ったところ、超安値の「島菜」が」売られていました。

 私の世代にとっては、あくまでも「島菜」ですが、最近の店頭表示は「からし菜」となっています。

 あまりにも安値なので、大きな束を二つも買い求めました。

 帰宅後、買い求めた「島菜」を包丁で真っ二つに切り分け、葉っぱの部分を「野菜ンブサー」用に、茎の部分を「一夜漬け」用にしました。


 本来、「野菜ンブサー」は色々様々な野菜を同時に味噌汁の中に叩き込みます。

 しかし私は、沖縄の葉野菜の両横綱である「島菜」と「クダンソウ」(キク二ガナ)に限っては、あくまでも単品の「野菜ンブサー」にして食べます。

 「島菜」や「クダンソウ」の持ち味が他の野菜で失われるのを防ぐためです。

 今日の「島菜」の「野菜ンブサー」も、もちろん「島菜」の単品で仕上げました。

 やはり、最高の味でした!  

「ブログ投稿文集」3冊を一気に上梓しました

2012年02月19日

1、502―〇 『 「ブログ投稿文集」3冊を一気に上梓しました 』

 今日、自分の「ブログ投稿文集」の「第40巻」と「第41巻」と「第42巻」の三冊をまとめて上梓(じょうし)しました。

 ちなみに「上梓」とは、書いた作品を一冊の本にすることです。

 
 松川時代に自分の「ブログ投稿文集」を「第31巻」までは上梓しました。

 しかし、引越し作業の煩多な生活のなかで、「ブログ」を書くことは楽しく出来たものの、それを一冊の本にまとめるまでの時間の余裕はありませんでした。

 「ブログ投稿文集」を一冊にまとめるに当たって従来は35個の記事を一冊にしましたが、「第40巻」からは40個の記事を一冊に収めることにしました。

 記事も1000個を超えると、数字的にも間違いが起こりやすく、例えば「第41巻目」の「文集」は作品番号の「1401~1440」というぐあいに数字を分かりやすくするために取った処置です。


 私にとって「ブログ」を書くのが最高の喜びをもたらすのは、「ブログ」がまぎれもない「物作り」だからです。

 ですから「物作り」としての「ブログ」は、あくまでも「製本」で完成なのです。

 「テーマの閃(ひらめ)き」から「製本」まで、少なくとも10段階の工程を辿ります。

 そのなかの1つの工程の省略も許されません。


 人それぞれ「ブログ作品」の保存方法は色々様々なやり方があるでしょうが、以上のように一巻あたり数冊の本に仕上げて永久保存するのが私の方法です。

 今後、暇になり次第、未完成の「第32巻」から「第39巻」も一冊の本にまとめていく計画です。  

Posted by 具志堅興清 at 09:49Comments(0)ブログ投稿ばなし

パソコンの機能が無事に回復しました!

2012年02月18日

1、501-『 パソコンの機能が無事に回復しました! 』


 晩、三男の妻のアサミちゃんから電話がかかってきました。

 「お父さん。どうかしたの?」

 「どうもしていませんよ!私は、いたって元気です!」

 「だって、ここ二、三日お父さんのブログの更新がストップしいているもんですから・・・」


 「それはアサミちゃん。私のパソコンがトラブルを起こしているからですよ!」


 「それなら〇〇(私の三男)に電話すればいいのに」

 「そらがアサミちゃん。二、三日前から十回ぐらい〇〇に電話するのに電話がかからなかったのです」




 半時間後、私の元に息子夫婦が車で駆け参じてくれました。


 息子が早速、パソコンのトラブルの修理をしてくれました。


 この通り私のパソコンも無事に回復しました。

 おばぁが亡くなった直後でもあるし、今回のパソコンの故障は、私がおばぁの死去のショックで寝込んでいるのではと心配した方もいたのではないでしょうか。

 私は亡くなったおばぁから気力を頂戴し、ますます元気です。

 タイミング悪く、パソコンがトラブルを起こしただけのハナシです。

 そのトラブルを息子が、いとも簡単に回復してくれました。

 10分ぐらいパソコンをいじくったあと、「はい。お父さん。簡単に直りましたよ」ーと、息子は愛妻のアサミちゃんとともに意気揚々と引き上げていきました。


 昨日から今日にかけてブログに書きたいことが山ほどあったのに、今日は、そのおかげでブログの「製本作業」が、かなり捗(はかど)りました。

 記事のコピーの拡大作業なら、プリンターだけでも可能だからです。

 しかし、「目次作り」や「表紙作り」となると、パソコンなしでは出来ません。

 引越し作業の中で中断していた「ブログの製本」が十冊近く滞ってしまいましたが、昨日から今日のかけて、三冊分の作業が九分通りは終了しました。  

Posted by 具志堅興清 at 23:02Comments(0)ブログ投稿ばなし

「悩む時間」を作るから悩むのです!

2012年02月15日

1、500―〇 『 「悩む時間」を作るから悩むのです! 』

 「思考する動物」なら人間以外にも猿やイルカなどが存在するようです。

 ところが「悩むことの出来る動物」は、唯一人間だけです。

 人は寝っころがってだけいると、つい悩みが湧いてきます。

 昼間も寝っころがってだけいると、悩みが心の中に生じます。

 夜も、寝っころがった「不眠の夜」は悩みが襲ってきます


 私にも昼間、寝っころがっている時間帯が毎日1時間半はあります。

 ところが、その時間帯に私は「腹式呼吸」を3000回実践しています。


 それに若い頃の数年間の「不眠の地獄」を体験したおかげで、今の私の夜は熟睡あるのみです。

 ですから私に昼夜を通して「悩む」時間帯はゴザイマセン!  

Posted by 具志堅興清 at 21:12Comments(2)人生論

今晩の御飯のオカズ

2012年02月15日

1、499―〇 『 今晩の御飯のオカズ 』

 私の今晩の御飯(ごはん)のオカズは「沖縄そば」でした。

 私特製の「沖縄そば」は、スーパーで買ってきた「沖縄そばつゆ」と「沖縄そば」を鍋に叩き込みます。

 煮たぎったころ、青野菜をタップリと入れます。

 今晩は「セロリの青い葉っぱ」と「ニンニク葉」をイッパイ叩きこみました。


 実は、おばぁを入院させての三週間目あたり、私は体力を付けるべく、かって一度も食べたことのない「ラフテー」に挑戦しました。

 挑戦は私の完敗に終わりました。

 「ラフテー」は美味の点では「沖縄料理の最高レベル」です。

 つい美味につられて食べ過ごしてしまいました。

 翌々日から見事に風邪を引きました。


 一週間前から私の夕食の御飯のオカズは「沖縄そば」です。

 72歳にして「沖縄そば」を見直しました。  

「第四の誕生」

2012年02月14日

1、498―〇 『 「第四の誕生」 』

 私は、「人の死」を普通の人のようには悲しみません。

 人には「第四の誕生」が存在するということを知っているからです。

 私の尊敬する亀井勝一郎先生は、人間には「四つの誕生」があることを説いてくれました。

 「第一の誕生」とは、母親の胎内からこの世に生を受けることです。すなわち「誕生」そのものです。

 「第二の誕生」とは、いわゆる「自我の目覚め」のことです。「一個の人格」の誕生を意味し、その誕生は「思春期」に訪れます。

 「第三の誕生」は、いわゆる孔子の言う「三十にして立つ」の「自立」のことです。

 「第四の誕生」とは、「人の死」です。


 「人の死」は「死者」と「生き残った者」との永久(とわ)の別れではありません。

 
 たとえば、個人的なこと申し上げれば、私の妻は急逝したあと生き残った夫の私の心の中に再び蘇りました。

 その事は、妻が亡くなって十年間、私が事実上、女性に近づかなかった最大の理由でもあります。

 私の心の中に亡き妻が蘇った時点で、私は全く孤独とは無縁になりました。

 私の両親またしかりで、あの世へ旅立った後、再び私の心の中に再生しました。

 誤解のないように説明を加えますと、キリストの再生は、奇跡によるこの世への復活再生です。

 しかし私のいう「再生」とは、自己催眠によって、あくまでも私の心の中に、最愛の今は亡き人が再び蘇ることを意味します。

 私のいう「再生」には過去における「亡き人との生活の共有」が絶対条件です。

 ユタのように「見ず知らずの他人」の魂を呼び寄せることなど私のなかでは起こりえません。

 「今は亡き人との共有した過去」と、ちょっとした「シナリオ能力」があれば、自己催眠にによる故人との会話は、誰にだって可能でしょう。

 「シナリオ能力」とは、「会話構成能力」のことです。

 断っておきますが、再生の場所は、この世そのものではなく、あくまでも私の個人的な心の中だということです。

 私は自分の心の中に再生した今は亡き人々との自由自在の会話が可能です。

 ですから私は全く孤独を感じないのです。  

Posted by 具志堅興清 at 20:17Comments(2)人生論

懐メロの名曲「古城」

2012年02月14日

1、497―〇 『 懐メロの名曲「古城」 』

 この世の中に、他人が心から惚れこんだものを、こっそりと我が物にすることが許されるものが一つだけあります。

 それは、他人の「愛唱歌」です。

 人が何十年間も惚れこんできた歌には、かならず秘められた大きな魅力が存在します。

 私の現在の数ある「愛唱歌」の中には、他人が惚れこんだ歌をコッソリと我が物にした歌が少なくありません。


 先日、娘の彼氏のお父さんとお会いした際、演歌好きどうし「カラオケ談義」に花が咲きました。

 その時、お父さんが挙げた歌の中に、今まで私が一度も挑戦したことのない懐メロが一つだけありました。

 三橋美智也の「古城」です。

 翌日、インターネットを介して、さっそく「古城」を歌ってみました。

 いままで三橋美智也の高音は自分の音域には到底無理だと思い込み敬遠してきましたが、なんと「古城」は私の声の音域にピッタリです。

 このところ、すっかり「古城」にはまりこんでいます。

 なお、三橋美智也の歌のなかにも、たった一つ私の長年の「愛唱歌」があります。

 「みれん峠」です。

 三橋美智也の歌には名曲が沢山ありますので、今後、次々と挑戦を試みてみるつもりです。  

Posted by 具志堅興清 at 18:25Comments(0)趣味

おばぁの死去にY子さん絶句する

2012年02月13日

1、496―〇 『 おばぁの死去にY子さん絶句する 』

 晩、レギュラー患者のY子さんから電話がかかりました。


 「センセイ。明日は治療しておられますか?」

 「Y子さん。私は今日から治療を再開していますよ」

 「先週の土曜日に治療に来るべく電話をかけましたがセンセイは留守でした」


 「Y子さん。その日は、おばぁの初七日でした」

 しばらくY子さんは絶句しました。


 Y子さんの絶句のあと、私はY子さんに告げました。

 「先々週の土曜日、Y子さんが来院して治療した翌日の日曜日の午後の10時半におばぁは息を引き取りました」と。


 Y子さんは、かって私が一目惚れした女性です。

 妻が急逝して一年半ぐらいした頃のハナシです。

 ところがY子さんは、超エリート企業の管理職でした。

 私はといえば、根っからの「エリート嫌い」です。


 たとえ一目惚れしても、「エリート嫌い」の私がY子さんをクドクはずがありません。

 Y子さんの治療歴はとうに8年は越しています。

 Y子さんは私の長男が交通事故で瀕死の重傷を負った翌日、「昨日、テレビのニュースで知りましたが大丈夫ですか?」と質問してくれました。

 数年前、おばぁの実弟の仁三おじさんがアパートで急死したときに私の元へ一報が届いた際にも、Y子さんの治療が丁度、終了した瞬間でした。

 このようにY子さんは私の家の大きな出来事の節目節目に関わってきた人物です。


 しかしY子さんはヤマトのエリート企業の管理職の女性です。

 私は特にヤマトの超エリート企業は大嫌いです。

 ですから、私とY子さんとの接点はありえません。

 ちなみにY子さんは、私が「藤沢周平」を読み出した頃、小説のヒロインのイメージキャラクターに拝借した人物でもあります。

 藤沢周平の時代劇に登場するような古風な瓜実顔の典型的な超美貌のヤマト女性です。

 Y子さんは亡きおばぁとは少なくとも三回は顔を合わせているはずです。  

Posted by 具志堅興清 at 21:29Comments(0)家族ばなし(思い出話全般)

わが家の「行事の改革」

2012年02月13日

1.495ー〇 『 わが家の「行事の改革」 』

 かっての沖縄は親の家屋敷や土地財産の全部を長男が相続していました。

 戦後になり、次第に子どもへの親の財産の分配相続が始まりました。

 そして近年、完全なる平等分配相続の時代になりました。


 子どもへの分配相続が始まった頃から「長男の嫁探し」が厳しくなってきました。

 相変わらず家庭に於ける諸行事は、そのまま長男の責任のまま残されたからです。

 沖縄における家庭内の諸行事は、煩雑を極めます。

 煩雑なだけに「長男嫁」の責任者としての重圧は大変なものがあります。

 親の財産を独占できた時代には、その代償として長男夫婦は、あえて諸行事の重圧に耐えてきました。

 しかし、親の財産は平等に分配されて、行事の責任と重圧だけをそのまま押し付けられたのでは、「長男嫁」になるのは大抵の女性が二の足を踏んでしまいうことでしょう。


 このところ、沖縄における家庭内の諸行事の改革が急速に進みつつあります。

 その改革の急先鋒を担っているのは、長年、「長男嫁」の座で苦労を重ねてきた方々です。


 おばぁ(義母)も「長男嫁」でした。

 「長男嫁」としての苦労を人一倍味わった人だっただけに晩年、孫たち(私の子どもたち)を徹底的に「諸行事の改革」の面での教育を施してくれました。

 祖母から徹底的に改革の教育を受け、実践を託された孫たちも彼女の遺志を貫くことになりました。

 まず「告別式」を簡素化しました。

 さらに、「シンジュウクニチ」までの諸行事のすべてを「初七日」にまとめて行い、葬儀全般をことごとく終了させました。

 「行事の改革」においても、おばぁ(義母)は亡き後も偉大なる足跡を残してくれました。  

Posted by 具志堅興清 at 11:07Comments(0)家族ばなし(思い出話全般)

「あの世」は「すばらしい世界」です

2012年02月12日

1、494―〇 『 「あの世」は「すばらしい世界」です 』

 この世のしたり顔の自分は何でも知っているものと信じて疑わない人間の口からよくで出てくる言葉があります。

 「誰もあの世に行ったことがないのだから誰にもあの世の事は分からないだろう」


 果たしてそうでしょうか。

 私はそうは思いません!


 あの世とは、肉体から魂だけが離脱した世界のことす。

 したがって、あの世には肉体は存在しません。

 人間は、肉体あるがゆえに食欲や色欲をはじめとした諸々の欲望が生まれ、「この世の地獄」を現出する源となる「煩悩(ぼんのう)」に身も心も支配されてしまうのです。


 ですから、「子作り」をはじめ、この世の欲望のほとんどをやり終えた人ならば、その志(こころざし)さえあれば、あの世により近い「無欲の世界」に近づくことは可能です。


 特に十年前に愛妻に先立たれた私などは、「無欲に近い世界」を体験するには、非常に恵まれた立場にいます。

 しかし「食欲旺盛」とともに、飽くなき「色欲」にも翻弄され、さらにはこの世の名誉欲などの「現世欲」に最高の価値観を見出すような世界においては、瞬時にしてこれらの欲望が断ち切られる「人の死」は明らかに大変な不幸事に違いありません。


 さて私は六十歳にして、意図的に食生活を「完全菜食」と「「少食」にしました。

 人の「食欲」と「色欲」は、ほぼ連動しております。

 私が六十二歳のとき、愛妻はなくなりましたが、妻の急逝後、私の「完全菜食」と「少食」は、さらに磨きがかかりました。

 むかしから、現在の私のような徹底した「「菜食主義」と「「少食主義」の人は存在しました。

 彼らに共通するのは、「あの世」と「この世」の区別がないということです。

 ほぼ「無欲に近い世界」に身をおいているからです。

 完全菜食主義と少食主義を貫いて約十二年、もはや私には「この世」と「あの世」の境界線は在りません。

 結論は「あの世」は「すばらしい世界」だとうことです。


 ところが、青年期や壮年期には「あの世へと急ぎたがる人」が少なくありません。

 この種の人間に「あの世はすばらしい世界だ!」と説いたのでは、この世における生きるための頑張り(気力)を奪いかねず、結局、この世での最高に不幸な結末をもたらしてしまいます。

 ですから、私のような「あの世がすばらしい世界だ」と信じて疑わない人間でも、現実にこの世に「あの世へと急ぎたがる人間」が少なくない以上、「あの世はすばらしい世界だ」などと安易に説きまくるわけにはいきません。

 ただ、ただいま現在の私のように「最愛の家族」を失った時点で、哀しい自分を心底から納得させるために自分の心を説得する分には、いくら説きまくったところで何ら問題はないものと判断し、この稿を認(したた)めた次第です。  

Posted by 具志堅興清 at 19:50Comments(0)人生論

「納骨」・「初七日」・「シンジュウクニチ」の儀をまとめて行う

2012年02月12日

1、493―〇 『 「納骨」・「初七日」・「シンジュウクニチ」の儀をまとめて行う 』

 昨日の2月11日(土曜日)に、おばぁ(義母)の「納骨」・「初七日」・「シンジュウクニチ」の儀をまとめて行いました。

 まず午前8時半に那覇の自宅を家族ら9人で出発。

 10時ごろ喜如嘉の墓地に到着しました。

 おばぁの御骨を収める墓は、「村墓」(共同墓)の中にあります。

 ちなみに「村墓」は、喜如嘉の村(むら)の結(ゆ)いの「こころ」が生んだ最高傑作の制度です。

 「村墓」とは、個人墓を持たない喜如嘉の関係者であれば、だれでも死後に入れる共同墓のことです。

 かなりの歴史を有し、現在のような墓地の獲得や墓の建設の困難な時代にあっては、大いに有難い制度で、むかしの発案者の「先見の目」には、驚くばかりの庶民の知恵を見る思いがします。

 納骨の儀をすまし、午前11時には那覇の自宅に到着しました。


 その後、3時から7時まで、「初七日」と「シンジュウクニチ」の儀をまとめて行いました。


 なお、私の亡き妻の眠る「具志堅家の墓」は、おばぁの眠る「村墓」から十数メートルの距離に建っています。  

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「告別式」が終ってから

2012年02月10日

1、492―〇 『 「告別式」が終ってから 』

 おばぁの告別式は一昨日の午後の4時から5時までの一時間、自宅で行われました。

 そして告別式を終えたあとは、おばぁの遺骨と遺影の前で、家族みんなの慰労会が催されました。

 それはまた、苦労多き人生を見事に生き抜いたおばぁの慰労会も兼ねていました。


 私の家族以外では、清子おばさん親子、春子おばさん一家4人、それに先日初対面した長女の彼氏と両親も参加して大いににぎわいました。

 私は12時前には床に就きましたが、隣の部屋からは、孫たちが優しかった祖母を懐かしむ声が夜明け方まで続いていました。  

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「おばぁの告別式」

2012年02月08日

1、491―『 「おばぁの告別式」 』

 昨日は、おばぁ(義母)の告別式でした。

 一生を簡素と清廉をモットーにして生き抜いた彼女の遺志を尊重し、告別式も徹底した簡素な告別式で取り行いました。  

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「おばぁの病気」

2012年02月08日

1、490―〇 『 「おばぁの病気」 』

 約四ヶ月前、このところ、日々に腫(は)れを増してきたおばぁ(義母)の左頚部のリンパ節のあたりを医師に診断さることにしました。

 悪性腫瘍(ガン)専門のベテランの医師は、早速「悪性リンパ腺腫」と「肺臓をはじめとした各種臓器へのガンの転移」があることを診断してくれました。

 同時に「余命四ヶ月」と診断されました。

 おばぁは、「余命」の三ヶ月間は自宅で普段どおりの生活を営みました。

 そして、 おばぁの胃袋が飲食物を完全拒絶し、歩行が極めて困難になった日に至った段階で病院に搬送しました、

 入院生活は一ヶ月間でした。  

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「おばぁが昇天しました」

2012年02月06日

1、489―〇 『 「おばぁが昇天しました」 』



 昨晩の十時半ごろ、おばぁが昇天しました。

 享年92歳でした。  

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「今晩の夕食のおかず」

2012年02月05日

1、488―〇 『 「今晩の夕食のおかず」 』

 
 今日、おばぁの病室で一緒になった娘に尋ねました。

 この病院の売店、パック入りの「沖縄そば」を売っているだろうか?」

 今日に限って、むしょうに「沖縄そば」が食べたくなったのです。


 「お父さん今の時刻は7時半。病院の売店は6時までです」



 病院からの帰り、近くのスーパーに立ち寄り、パック入りの「沖縄そば」を買い求めました。

 今晩は、それを御飯の添え物である「おかず」にして夕食にしました。

 「沖縄そば」の夕食の「おかず」は、最高でした!  

人生の「付録」

2012年02月05日

1、487―〇 『 人生の「付録」 』


 昨年末、中学校時代(名護中学校)の同記生らによって製作された「同期生アルバム帳」をめくると、けっこう亡くなった友人が目立ちます。

 多いことは多いけれど、「昭和15年生まれ」や「昭和16年生まれ」の死亡者よりは意外に少ないのです。

 私は名護高校1年終了と同時に首里高校に転校したのですが、首里高校では病気休学のため2学年を二度、3学年を二度も歩きました。

 ですから私は本来の「昭和14年生まれ」だけでなく、「昭和15年生まれ」とも「昭和16年」とも在学中だけでなく卒業後も関係しているのです。

 高校卒業後、五十余年も経つと、一番ダントツなのは「昭和15年生まれ」の同級生らの物故者が多く、次に「昭和16年生まれの」の同級生らの物故者が多いです。


 私は、その事実は明らかに「激しかった沖縄戦」がからんでいるものとみています。

 たとえば「昭和14年生まれ」は沖縄戦当時。「幼稚園生」です。

 沖縄戦当時、「昭和15年生まれ」や「昭和16年生まれ」は、幼稚園就学前の「4歳児」や「「三歳児」でした。

 戦争の影響は、幼児期の「栄養の欠乏」や「精神的衝撃度」に因って、成人後の「早世」に連結するのは疑いのない事実だと私は確信しています。

 なお、「昭和20年生まれ」の学童は終戦直後の校庭における朝礼の際、他の学年の半分しかいませんでした。

 戦争により「乳飲み子」の犠牲が如何に多いかを如実に示した終戦直後の朝の校庭風景でした。


 ちなみに58歳で早世した私の妻は「昭和19年産まれ」でした。

 私は「昭和14年生」らと同期ですが、「昭和15年の早生まれ」です。

 妻の「早世」と私の人生の早い時期における体質の大崩れ、私は「沖縄戦」が少なからず影響しているとみます。

 このような事実に思いをめぐらすと、当然、今からの自分の人生が「人生の付録」だということに気付きます。 

 つまり、今からの私の人生は「もうけもの」なのです。

 「付録」といえば、私が少年だった頃の月刊雑誌には、雑誌本体意外に沢山の「付録」が付いていました。

 むしろ「付録」欲しさに雑誌を買うときもありました。

 「付録」のほうが、雑誌本体よりも値打ちが高かったからです。  

Posted by 具志堅興清 at 11:55Comments(0)人生論

たとえ我が子でも「人格」は別個だから

2012年02月04日

1、486―〇 『 たとえ我が子でも「人格」は別個だから 』

 「人格」には色々な意味があります。

 

 色々な意味がある上に、さらに「人格者」という言葉が存在し、「人格」の意味をさらに分かりにくくしてしまいました。

 「人格者」とは、経歴・識見ともに社会的に「立派な人物」と評価された人をいいます。


 その言葉の登場は、「人格」の意味を極めて曖昧模糊(あいまいもこ)なるものにしてしまいました。

 「人格」と言う言葉は、決して曖昧模糊ではいけない時代なのです。


 私は「人格」の意味は、そろそろ「人間の人としての主体」」に統一すべきだと考えます。

 

 現在、「人格」が曖昧模糊なるがゆえに「救われない親」が如何に多い事か!

 もう、そろそろ「人格」を「人間の人としての主体」に統一すべきです。


 大きな時代の「うねり」の過渡期の現在、家庭的に次の状態の子どもたちが、あまりに多すぎます。

 まずは、三十代になっても相変わらずの「引きこもり」のままの方々です。

 次は、生活能力はあっても四十代になっても五十代になっても「独身貴族」のままの方々です。


 このような「親の悩み」に対し、識者は「お父さん。お母さん。子どもさんは元々あなたとは人格(じんかく)は別個なのですよ」と説得します。

 「人格」が「人間の人としての主体」に統一されておれば、識者による親の悩みを説得するのは容易です。

 しかし、今のように「人格」の意味が曖昧模糊として色々様々に解釈されたのでは、悩める親の説得も至難のワザでしょう。

 ちなみに「人間の人としての主体」(人格)は、思春期の「自我の目覚め」のころに確立されます。

 つまり精神的には完全に親から独立してしまったのです。

 ですから、もはや「親のいいなり」にはなりません。

 それ以降は、むしろ「親の言うことを聞かない子」のほうが「普通の子」なのです。  

Posted by 具志堅興清 at 21:51Comments(2)家族ばなし(思い出話全般)

「弁当持参」で同級生会に行く

2012年02月04日

1.485― 『 「弁当持参」で同級生会に行く 』

 昨日は夕方、入院中のおばぁを見舞った後、同級生会に出かけました。

 もちろん「弁当持参」です。

 病院からの帰り、まず車を松川のおばぁ宅に駐車し、東町の同級生会場へはタクシーを利用しました。

 今日の参加者は少なめでした。

 参加人数が少なめだと、参加者全員との会話ができますので、かえって都合よい利点もあります。

 今日の女性参加者は安子さんに洋子さんにとよ子さんの三人でしたが、おかげで、たっぷりと話し込むことが叶いました。

 現在、私にとって体調管理が厳しく求められる時期でもあり、九時過ぎには会場を後にしました。


 十時前には、おばぁの家で床を取り布団にもぐりこみましたが、何枚も布団と毛布を重ねても体が温まりません。

 おばぁも同居中の私の長男も熱がり体質のため、此の家には厚めの寝具はありません。

 とうとう朝まで待ちきれずに、朝の四時半に車を西原へ走らせました。

 ちなみに私の西原の自宅には、畳の上に厚めの敷布が四枚、厚めの毛布に重ねてダブルの厚めの布団が二枚用意されています、

 足元には、電気アンカが三個もあって私の冷たい足を暖めてくれます。  

Posted by 具志堅興清 at 09:52Comments(2)家族ばなし(思い出話全般)

私は「独学」そのものが楽しいのです!

2012年02月02日

1、484-〇 『 私は「独学」そのものが楽しいのです! 』

 今日の午後、私のパソコンの不調を整えに三男がやってきました。

 三男は、6年前の私が66歳の時、私にパソコンを教えてくれた「私の唯一のパソコンの師匠」です。

 パソコンを調整し終えた後、息子が私に尋ねました。

 「お父さん。もうキーボードを見ないで真正面を見てパソコンの文字が打てるでしょう?」

 「とんでもない。お父さんは相も変わらず下をうつむいてパソコンの文字を打ちまくっています」

 「お父さん。自分は今、パソコン学校に通って三ヶ月ですが、真正面を見てパソコンの文字が打てるようになりました。真正面から打てる方法をお父さんに教えてあげましょうか?」

 「いやいや。私は生涯、下を向いたままパソコンを打ち続けます。所詮、お父さんは「いかに早くパソコンの文字を打つ」かではなく「いかに遅くパソコンの文字を打つ」かですので、今のままで結構でゴザイマス」


 私は、鍼灸師の資格免許は正式の教育のもとで教育をうけて免許を取りました。

 私は、運転免許証の資格免許は正式の運転教習所で教育を受けて免許を取りました。
 
 私は本来、「他人から習う」のが大の苦手です。

 逆に「独学」は大好きです。

 私の数ある趣味は一つ残らず「独学」です。

 「独学」は、当然に遠回りの道を強いられます。

 実は、その遠回りの道のなかにこそ「独学」の妙味があるのです。

 少なくとも自分のなかに「競争原理」を許容する人には「独学」は向かないでしょう。

 「独学」大好きな私の中には「競争原理」の入り込む余地など毛頭ゴザイマセン!  

Posted by 具志堅興清 at 20:54Comments(0)趣味

全くの正反対だからこそ理解し合える仲なのです!

2012年02月01日

1、483―〇 『 全くの正反対だからこそ理解し合える仲なのです! 』

 私と義母(おばぁ)は、体質的にも性格(性質)的にも正反対です。

 人間の目は、すぐの近くはなかなか見えにくいものです。

 ところが対極の反対側は、かえって良く見えます。

 体質的には、おばぁは「発散体質」です。

 私は「上衝体質」です。

 まさしく正反対の体質です。

 性格(性質)的には、おばぁは、よく人に気を使うタイプです。

 私は全く「気使いゼロ」の人間です。

 むしろ人に気を使わせて快感を覚える人間です。

 私は「他人に好かれないこと」をモットーにしています。

 私は「他人が自分を嫌っても当然だ」をモットーにしています。


 亡き妻との結婚以来、私は義母から[好かれないこと」をモットーにしてきました。

 むしろ「嫌われてもいい」をモットーにしてきました。


 このような私の態度にもかかわらず、義母は終始一貫、気を使いながらも婿の私を最高に「好いて」くれました。

 「とうとう嫌われたなあ」と感じたことは一度もありませんでした。

 現在、おばぁ(義母)は、病院のベッドで、私以外の人間だと「眠ったふり」を決め込むのに私の言葉には必ず反応します。

 以下は、今日の病室での私と義母との短い会話です。

 「おばぁさん。痛いところはありませんか?」

 「コウセイか?」

 「はい。コウセイですよ」

 「コウセイ。今日も来たのか?」

 「はい。おばぁさん。今日も来ましたよ」

 「コウセイ。あんな遠いところから毎日は来なくてもいいのに」

 「私はおばぁに会うのが最高に楽しいから毎日来るのです。明日も必ず来ます」  

Posted by 具志堅興清 at 21:06Comments(0)家族ばなし(思い出話全般)

「人生マラソン」の苦労には色々様々なタイプがある

2012年02月01日

1、482―〇 『 「人生マラソン」の苦労には色々様々なタイプがある 』

2007年(平成19年)10月20日(土曜日)の「沖縄タイムス」の「オピニオン欄」に掲載

 職業柄、「物心ついたころには、すでに体質は大き崩れ、学校でも職場でも成績は不本意だった」-と過去を述懐する声を聞く。

 この種の方々に共通するのは、驚異的な「我慢強い性格」である。

 いわゆる「人生マラソンン」の前半、仲間たちが前へ前へと突っ走るなかを、遅いマイペースで進まざるをえないなかで、培われた強さだろう。

 逆にまた、生まれつき体力と体質に恵まれ、おかげで学校や職場では、存分に才能が開いたものの、六十歳前後に至り、体質の激変に見舞われる方々もいる。

 この種の方々の肉体的精神的苦痛たるや、想像を絶するものがあろう。

 しかし、思うに、この種の方々の苦しみの源は、崩れた体質に因るというよりも、すっかり長い間、体調万全な状態に慣らされ、勉強にしろ仕事にしろ、あるいは人付き合いにしろ、万全な体調で行うのが、当たり前だと思い込んでしまったところにあるのではあるまいか。

 つまり、不満足な体調で物事を行う「学習の機会」がなかったところにあるのではあるまいか。  

Posted by 具志堅興清 at 15:35Comments(0)新聞の一般投稿文

「ナオさんとの会話」

2012年01月31日

1、481-〇 『 「ナオさんとの会話」 』

 彼の友人知人たちは彼のことを皆して「ナオさん」と呼びます。

 私も何時とはなく彼を「ナオさん」と呼ぶようになりました。

 「ナオさん」は一級建築設計士です。


 今日の午後、「ナオさん」がハリ治療に訪れました。

 「ナオさん」は私の二十年以上に及ぶ患者です。

 「ナオさん」は右半身が不自由です。

 高血圧の後遺症に因る症状です。

 以下は今日の私と「ナオさんの会話」の再録です。




 「それにしても、よく探して来てくれました。本当にありがとう!」

 「松川には昨年の11月に行きました。治療院の跡は、すっかりサラ地になっていました」

 「去年の8月16日に西原に引っ越してきました」

 「ずいぶん、静かな場所に移って来られましたね」

 「ナオさん。実はこの家30年前に建てました」

 「と言いますと?」

 「せっかく家は建てたものの、ここでは6人の子どもを育てるだけの治療収入が絶望的だと判断し、そのまま松川に30年間も居座ることにしたのです」

 「私とセンセイとの付き合いも23年になりました!」

 「たしか、あなたが高血圧で倒れて入院中の病院を抜け出してきてのハリ治療でしたね」

 「そうでした。その私の決断は正しかった!」

 「その間、私は妻を亡くし、あなたも奥さんを亡くしましたね」

 「センセイは10年前、私は7年前に亡くしました」

 「しかし、ナオさん。あなたは現在、少しもサビしくなんかないでしょう?」

 「センセイ!どうして分かります?」

 「顔に書いてありますもの」

 「センセイだって、ちっともサビしくないことが顔に書いてあります!」

 「スポーツセンターでのリハビリは、いまも続けておられるのですか?」

 「日曜日と祝祭日以外は毎日通っています」



 「もう70の坂は越されましたか?」

 「センセイより2歳だけ私は若いはずですよ」  

Posted by 具志堅興清 at 20:41Comments(0)人生論

「私の長男」

2012年01月30日

1、480―〇 『 「私の長男」 』

 私の長男は父親に似て「超変わり者」です。

 「超変わり者」という点ではよく似ていますが全然違うところが一点だけあります。

 それは私の長男が「超美貌の男性」だと言うことです。

 昔流の言葉で言えば「超美男子」です。

 今流の言葉で言えば「超イケメン」だということです。

 「超美貌の女性」が、意外にも男性から「もてない」ように、「超美貌の男性」も女性からは意外なほどもてません。

 「超」が付く段階になると、女性でも男性でも自ずから自分の「美貌」を意識せざるをえません。

 その自意識こそが、「超美貌」の女性も男性も、意外なほど異性からは「もてない」ようにしてしまうのです。

 私の知りうる限り、自意識せざるをえないほどの「超美貌な女性」も「超美貌な男性」も、典型的な「硬派(こうは)なんです。

 けっこう「身持ちが硬い」タイプなのです。

 プライドが、そうさせるのでしょうか。

 私は長男が大人になるまで、彼の長所を見つけるのに苦労しました。

 「超イケメン」なんて親にとっては何の長所でもないからです!


 ところが、長男が20代半ばの頃、長男の強引な誘いに乗って、カラオケ店に一緒に行って、彼の歌う「花の生涯」が北島三郎を、はるかに上回り、彼の歌う「昔の名前で出ています」が小林旭を、はるかに上回るのを発見し、父親は度肝を抜かれてしまいました。



 そして、その頃から、私の周辺の人間に重篤な病気や死亡が相続きました。

 おそらく私の長男は重篤な病人を看病させたり、没後の諸法事を取り仕切っては日本一だと思います。

 つまり、私の長男には、他の若者が真似の出来ない長所が二点あります。

 「超イケメン」ぶりなんて父親にとっては何の長所にもなりません!

 「演歌の抜群のうまさ」と「病人看護」は、日本一だと父親の私は太鼓判を押せます。


 現在、私の長男は、祖母の付き添い役で彼の持ち味を発揮しています。


 なお、私の長男は先天性の心臓疾患のために五歳時に一回目の「心臓ペースメーカー」の植え込み手術を行い、すでに4回の植え込み手術を経験しています。


 数年前には交通事故で瀕死の重傷を負いましたが、無事、地獄からの生還を果たしました。  

Posted by 具志堅興清 at 20:52Comments(2)家族ばなし(思い出話全般)