プロフィール
具志堅興清
針灸開業歴四十余年。 中国針専門。 得意は脈診(みゃくしん)。 具志堅鍼灸治療院 治療時間 午前9時~午前11時 午後2時までは昼休み 午後2時~午後6時 日曜日は毎週、休みです。 公休日は治療しています。 針治療するハリは、衛生的で安全な 使い捨て針を使用しています。 新しい針灸院は、「幸地入口バス停」の奥にある「首里福音教会」前の急坂道の裏の行き止まりにあります。 西原町字幸地 586―20 が新住所名です。
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「朝の天気を嘆かないで」ー(妻の遺稿)

2011年03月16日

873、〇 『 「朝の天気を嘆かないで」ー(妻の遺稿) 』

 
 ある晩のことです。

 父親は喜色満面に高校生の息子に話かけました。

 「中学校卒業文集の‘’一行作文‘’の君の作品には、ものすごく感動したぞ」

 すると息子が答えました。

 「いったい何のこと?ボクすっかり忘れて記憶にないけど・・・」

 「そう照れなさんな。‘晩になってみなければ、その一日を賞賛するな‘’ーという有名なドイツの格言に近い言葉を書いていたではないか・・・」

 「ウッソー!ボク、ぜんぜん、そんなこと書いてナイッスヨ!、それ、いったいぜんたい、どんな意味?」

 「朝の晴天も、昼には曇り、やがて夕暮れには雨になるかもしれない。そして人生の朝に相当する少年期に、たとえ才能が伸びないでも、のちのち、大輪の花を咲かせるかもしれない。つまり、‘’朝の天気‘’など嘆かないで・・・」

 父親の解説がおわらないうちに中学生の娘が声をはさみました。

 「お父さん、それ‘’晴天誉(ほ)めるなら夕暮れを待って‘’でしょう?これは、ただ今はやりの歌の題名なのデース」

                          具志堅 順子(50歳)  

Posted by 具志堅興清 at 15:24Comments(0)妻の遺稿

「かわいい来訪者」ー(妻の遺稿)

2011年01月09日

765、〇 『 「かわいい来訪者」ー(妻の遺稿) 』

1986年(昭和61年)8月7日(木曜日)の「沖縄タイムス」の「くさぐさ」欄に掲載

 夏休みを利用して、従妹のヒロ子ちゃんが、大阪からやってきました。

 母方の末のオバの一人娘で、イトコといっても私の二男坊と同年の小学四年生です。

 四歳の春以来なので、六年ぶりの里帰りになります。

 ヒロ子ちゃん母娘の来訪計画は、約半年も前に、わが家に伝わってきました。

 夏休みが近づくにつれ、子供たちは、「あと、何日・・」とつぶやきながら、カレンダーに次々と朱印をいれていきます。

 特に年齢の近い長男や二男にいたっては、うれしそうなソワソワニヤニヤが続きます。

 わが家の騒々しさといえば、“ワンパク五人組“が、連日暴れまくる“台風銀座“のようなものです。

 来訪まえの彼らの熱烈な期待度からみて、両親は、かわいい女の子の加入こそ、彼らに対する強力な鎮静剤になるものと信じて疑いませんでした。

 ヒロコちゃんといえば、おっとりした性格のオンナらしい女の子です。

 彼女が来たとたん、わが家の小型台風がピタリと止まりました。

 ところが、喜んだのは、ほんの二、三日でした。

 おたがいに慣れてしまうと、今度は男の子たちの強烈な“めだちたがりの台風“が吹きはじめました。

   (那覇市松川三三二・主婦・42歳) 具志堅順子               

   

Posted by 具志堅興清 at 14:23Comments(0)妻の遺稿

「お兄ちゃんが理想の人?」-(妻の遺稿)

2011年01月08日

762、〇 『 「お兄ちゃんが理想の人?」ー(妻の遺稿) 』

1986年(昭和61年)7月30日(水曜日)の「琉球新報」の「いこい」欄に掲載


 結婚当初から、夫婦そろって「まず、女の子が一番に欲しい」ーと口癖のように言っていたのが、皮肉な事に五人も男の子が連続しました。


 最後のカケとばかりに頑張ったら、六番目に女の子が誕生しました。

 
 六番目を懐胎中、上の兄たちは「弟だったら、ふつうに可愛がるが、妹だったら、コウタイゴウタイで、いっぱいカワイガッテアゲル」-と、妹がうまれるのを期待していました。


 ところが、赤ちゃん時代はともかく、三歳を過ぎたころあたりから事情は一変しました。

 なにしろ、わが家の紅一点は、五人の男を束にしても、一歩も後には引かない超シッカリ者の女の子です。


 おかげで兄たちの可愛がり方も、誕生前の約束とは裏腹に、まるで弟のようなカワイガリようです。

 
 今や、みがきにみがきがかかって、口のききかたなど、男の子のような四歳の女の子にたくましく成長しました。


 ところが、ある日、隣組のお兄ちゃんたちの名前を挙げて、「誰とケッコンしたい?」-と尋ねたら、間髪をいれずに口からでてきた名前は、いじわるな五人の実兄たちの名前ばかりでした。

                             具志堅 順子
                               那覇市松川三三二  

Posted by 具志堅興清 at 18:07Comments(0)妻の遺稿

「親子レク」の効果ー(妻の遺稿)

2010年11月29日

692、〇 『 「親子レク」の効果ー(妻の遺稿)

 息子や娘の通うM小学校では、各学年、毎年一回の「親子レク」が開かれます。

 学校の体育館で、それぞれの親子が様々なゲームを楽しみ、親子の情を一層深めるのがねらい。

 やはり効果は少なくなく、それから数日間、ペアを組んだ子は、母親の私にベッタリの状態です。

 ただし、ベッタリになるのは、あくまでも「親子レク」で満足した子だけであって、不満足な子になると、そうはいきません。

 わが家の場合、同じ学年の双子たちとの「親子レク」は、終わった後がこわい。

 二人相手のゲームをこなした母親はへとへとになるし、半分しか母親との遊びの時間を持てなった二人は、毎年、毎度、不満タラタラです。

 そいうわけで、今年の双子の「親子レク」には、仕事を休むのをしぶる父親を親子三人で一週間がかりで説得に成功しました。

 おかげで、父親とペアを組んだほうの息子は、一週間どころか、その後、三週間あまりも、“父親ベッタリ“が続いていました。  

Posted by 具志堅興清 at 17:04Comments(0)妻の遺稿

父の日の「贈り物」-(妻の遺稿)

2010年11月29日

691、〇 『 父の日の「贈り物」-(妻の遺稿) 』

1989年(平成元年)6月28日(水曜日)の「沖縄タイムス」に掲載

 「父の日」の朝、中学生の息子が母親にお金の寸借を申し出てきました。

 使いみちを尋ねると、つかみどころのない、とぼけた表情と口調で、父親へのプレゼントを買うのだという。

 あきれはてた母親は、「それでは、せっかく贈っても、あまり意味がないから、今から少しづつ貯めて、来年からにしなさい」-とたしなめたあと、「今年は、お父さんの大好きなヤーチュー(お灸)をサービスしたら」と教えた。

 ところが息子からの、うれしい言葉に対する父親の返事は、少し時間がかかりました。

 その息子は、しばしば父親に頼まれてお灸をすえてくれるのですが、父親から叱られたりした後は、必ずお灸で仕返しをするからです。

 彼の仕返しのやり方は、父親が、前もって用意したモグサの粒を、三粒か五粒ほど一緒にして焼いてしまうのです。

 「今日は体力的に、普段よりも、お灸に対する我慢強さにに自信がないので・・・」と、父親は、あくまでも遠慮気味です。

 父親の遠慮気味の理由を察したらしく、「今日は、まじめに小さくやるから」と息子が父親に云いました。

 そして、「父の日」の最高の贈り物として、父親の肩と腰に、心優しい小さなモグサのお灸をすえてくれました。  

                 具志堅 順子(那覇市)  

Posted by 具志堅興清 at 16:49Comments(0)妻の遺稿

「ワニの赤ちゃん」ー(妻の遺稿)

2010年10月21日

638、〇 『 「ワニの赤ちゃん」ー(妻の遺稿) 』

1988年(昭和63年)10月13日(木曜日)の「沖縄タイムス」の「くさぐさ」に掲載

 夕方、わが家の子供たち六人が勢ぞろいしたところで、「今晩のおかず、何にしょうか」と問いかけてみました。

 すると、小学一年生の五男と幼稚園生の長女が同時に、「ワニの赤ちゃん!」ーと叫びました。

 それには、母親をはじめ家族みんなが目を白黒。

 まもなく二人は、得意顔で台所へと走りだし、何やらゴソゴソはじめました。

 「ハイ! これがワニの赤ちゃんよ!」と示したのを見ると、白いマナイタの上に、縦に真っ二つに割られたゴーヤー(ニガウリ)が“腹ばい“にされ、“頭“と“胴体“に両断されている。

 これは、まるでワニの赤ちゃんそっくりの姿形でした。

 わが家の子供たちは、赤ちゃんの頃から食べならされているせいか、島内産の苦味のきいた野菜が大好きです。

 ンジャナ(ホソバワダン)、フーチバー(ヨモギ)、シマナー(島菜)、クダンソウ(キクニガナ)・・・・。

 なかでも“ワニの赤ちゃん“は、ことのほか大好物で、しばらく、ゴーヤーチャンプルーが遠のくと、要求の大声が、たちまち上がります。  

Posted by 具志堅興清 at 19:02Comments(0)妻の遺稿

「曲直混交」?ー(妻の遺稿)

2010年10月21日

636、〇 『 「曲直混交」? 』-(妻の遺稿)

1988年(昭和63年)10月11日(火曜日)の「琉球新報」の「いこい」に掲載

 わが家は、中学二年生から幼稚園生まで、総勢六人の子供たちがひしめく。

 これだけの数がそろうと、玉石混交(ぎょくせきこんこう)ならぬ「曲直混交(きょくちょくこんこう)」で、素直で分かりやすい“こころ“もあれば、複雑な、とらえがたいカーブを描く“こころ“もあり、親にとって。それぞれの“子供心“の見極めは、容易ではありません。

 もちろん親にとっては、曲がっているよりも真っ直ぐな“こころ“がいいに決まっていますが、親心を強く鍛え上げてくれる点から評価すると、曲がった子供心のほうが、、ずっと功績は上です。

 体の面においても同じことがいえます。

 体の弱い子供を育て上げるのには、なみなみならぬ親の“汗と涙“が流されるのですから、健康優良児の親よりも虚弱な子供の親は、はるかに厳しく鍛え上げられることでしょう。

 ですから子供がまだ成長期の過程ならば、「曲直混交」は、むしろ神様が与えた“親心“かも知れません。

 わが家においても当分は、ストレートの剛速球や超スローボール、あるいは、縦横に大きく割れる変化球に、ほんろうされながらの子育てが続きそうです。  

Posted by 具志堅興清 at 13:13Comments(0)妻の遺稿

「那覇の“サクラ“」-(妻の遺稿)

2010年08月27日

528、〇 『 「那覇の“サクラ“」ー(妻の遺稿) 』

1987年(昭和62年)3月6日(金曜日)の「琉球新報」の「いこい欄」に掲載

 ヒカンザクラは、もうすっかり葉桜に変わりました。

 わが家の東隣と南隣の家には、それぞれ、立派なサクラの木があって、毎年、その季節がくると見事なサクラバナを見せてくれます。

 今年もまた、満開の花を楽しませてくれました。

 おかげさまで、開花以来の連日の花見で、すっかり満足し、わざわざサクラの花を見に、北部まで出かけることはありませんでした。

 亜熱帯の沖縄は、温帯の他府県に比べて、季節の移り変わりが不鮮明です。

 変化のとぼしい沖縄の自然の中にあって、唯一サクラだけは、はっきりした季節の変化を見せてくれます。

 沖縄におけるサクラの開花は、いわゆる“春遠からじ“ーを教えてくれます。

 そして、すっかり花ビラが散って葉桜に変わるころになると、もう季節は春たけなわです。

 ヤンバルだけでなく、中南部でも大規模なサクラの花見が出来るならば、子供たちの情感を育てるためにも、お年寄りの憩(いこ)いのためにも、どんなに有益か知れません。

 個人の庭のサクラの木でも、立派に育って見事な花を咲かすのですから、那覇をはじめとした中南部の公園をサクラの花でイッパイに飾ることは、決して不可能な事ではないでしょう。

                  具志堅 順子

                    那覇市 松川三三二  

Posted by 具志堅興清 at 13:51Comments(0)妻の遺稿

「人間湯タンポ」-(妻の遺稿)

2010年08月26日

526、〇 『 「人間湯タンポ」ー(妻の遺稿) 』

1987年(昭和62年)2月19日(木曜日)の「沖縄タイムス」の「くさぐさ欄」に掲載

 わが家(や)の小さな五男坊は、ここ数年ばかり、寒い冬の晩になると、彼の大好きな“お父さん“の“湯タンポ“がわりです。

 誕生の翌年、すぐに妹が生まれた事情もあって、彼の場合、赤ちゃんのころから、ずっと父親と同じフトンの中でした。

 冷え性気味の父親にとって、血の循環の良い息子の体温ほど心地よいものはなさそうです。

 おかげで五男坊は、フトンの中だけでなく、明けても暮れても父親ベッタリ。

 あまりにアツアツの二人に対し、時折、残りの兄妹たちのシットの“まなざし“と“冷やかし“がとびかうので、母親のほうはヒヤヒヤです。

 ところが最近になって、五男坊の“夜の態度“に異変が起こりはじめました。

 四月から晴れの“幼稚園生“になるのを意識したらしく、独立心が芽生え、上の兄たちと同じような自分だけのフトンと寝る場所とを要求するようになったのです。

 彼のあまりに熱心な“独立運動“には、両親の説得も見事に敗北し、とうとう父親も、息子の“父ばなれ“を泣く泣く承認しました。

 そのかわり今後は、五男に加えて三男、四男、長女の四人で、毎晩、交代制で、父親の湯タンポ役をつとめることになりました。

         ( 那覇市 松川332・主婦・42歳)
               
                  具志堅 順子  

Posted by 具志堅興清 at 13:41Comments(0)妻の遺稿

「逃げるは損です」-(妻の遺稿)

2010年08月25日

524、〇 『 「逃げるは損です」-(妻の遺稿) 』

1986年(昭和61年)11月21日(金曜日)の「琉球新報」の「いこい欄」に掲載

 人間以外の動物の世界では、強いものが絶対権力を持っているのですから、弱いものいじめなどは珍しくもありません。

 ですから、人間がいじめを演じることは、動物以下の心を演じていることになります。

 さて、家庭内で、わが子たちが犯すあやまちの中で親として最も我慢できないのは、自分より体の小さい弟妹たちへのいじめです。

 ほかのあやまちならば事情によっては堪忍してやれますが、いじめだけは見逃すわけにはいきません。

 その時は近づいていって、厚いオシリの肉を力いっぱいつねりあげることにしました。

 つねられているうちに、子供たちにも悪知恵がつき親の雲行きを察したとたん、すばやく逃げ出すようになりました。

 しかし、親も負けてはいません。

 どこまでも追いかけていって、つねりあげるのです。

 ある日の夕食時、私と夫は「逃げない人と逃げる人への、つねる指の力には、約三倍もの力の差が生ずる」ということを話題にしました。

 やはり、その後もいじめは時々、起こりますが、それ以来、逃げ出すヒキョウモノは一人もいなくなりました。

                具志堅 順子

                    那覇市松川332  

Posted by 具志堅興清 at 15:19Comments(0)妻の遺稿

「お金がなくてもカネモチよ」ー(妻の遺稿)

2010年08月24日

522、〇 『 「お金がなくてもカネモチよ」ー(妻の遺稿) 』

1986年(昭和61年)11月14日(金曜日)の「沖縄タイムス」の「くさぐさ欄」に掲載


 夕食後のひととき、六年生の長男がニヤニヤしながら、腹に“イチモツ“ありげな挑戦的口調で迫ってき
ました。


 「お母さん、ウチ、ビンボウだろう?」

 「どうして?」


 「だって、買うのといったら、いつもバーゲンの安物だし、チリの山からでも、使える物は、ひろってき
て使うじゃない」

 「それは、“ビンボウ“とはいわないで、“セイカツのチエ“っていうのョ!」

 「だって、お金、少ししかないくせに」

 「お金の“カネ“ならないけど、もう一つの“カネ“ならいっぱいあるわョ」

 「もう一つの“カネ“って?」


 「“金属“という意味の“カネ“よ。お前たち六人の子供のなかには、“金の卵“も“銀の卵“もいるか
も知れないヮ。ウチは、正真正銘の“カネモチ“なのョ」

 「ボクは、せいぜい“くず鉄“どまり・・・」

 
「そうョ。大人になっても他人の弱点を笑うヒトは、くず鉄どころか地球を毒するビニールくずやプラス
チックくずなみョ!」




 「出世した人や金持は、金や銀だろう?」


 「必ずしも、そうでもないヮ。たとえビンボウでも、他人に優しく出来る人こそが人間の金や銀であって、一番偉いのョ」




               (那覇市松川332・主婦・42歳)
    
                    具志堅 順子      

Posted by 具志堅興清 at 15:59Comments(0)妻の遺稿

遠く雨の中をやってきた!ー(妻の遺稿)

2010年08月01日

476、〇 『 遠く雨の中をやってきた!ー(妻の遺稿) 』

1986年(昭和61年)4月11日(金曜日)の「沖縄タイムス」の「くさぐさ」に掲載

 子供の無茶な行為を叱るのは、大人にとっての大切な仕事です。
叱ったあと、特に強めに叱ったあと、“子供心“を“大人心“が見守ってやるのは、さらに重要な大人の責務です。

 二年前の初夏のある日曜日のことでした。

 朝から私も主人も、数日来のカゼのため、体調も気分も最悪の状態にありました。

 両親の陰うつな気分が子供たちにも伝染したらしく、小学生の長男、二男も起床時からご機嫌ななめ。
加えて、三男、四男(双子)までもがツムジをまげるしまつ。
四人揃っての不機嫌さは、やがて次々と親への嫌がらせを生み、大型台風なみの嵐(あらし)が、わが家を襲いました。

「気分転換のために、西原の叔母さんの家で休息してきたほうがいいと思うョ」-という主人の“耳打ち“に従って、母親の私は小さい五男と長女だけを連れて、正午ごろ、西原に向いました。

 別れの際、四人の聞かん坊たちに対し私は、つい「お母さんは、お前たちとのケンカに疲れて、三日間は泊まってくる」と言い渡しました。

 それに答えて四人は、「ウチにはお父さんがいることだし、一週間でもかまわないョ!」との、ふてぶてしさです。

 ところが、その日の夕方、小雨の中を四人の兄弟は、西原までの一里余の道のりを雨に濡れながら、歩いてやってきました。

 父親の厳重な管理のスキを巧みについての冒険でした。

                       具志堅 順子  

Posted by 具志堅興清 at 19:17Comments(0)妻の遺稿

長男坊の「特技」ー(妻の遺稿)

2010年08月01日

475、〇 『 長男坊の「特技」ー(妻の遺稿) 』

1986年(昭和61年)4月1日(火曜日)の「琉球新報」の「いこい」に掲載

 やたら反抗期が多くて、しかも長く、いつも鋭くツッパッテは、毎度、両親から頭を下げさせられているわが家の長男坊ですが、彼にも両親の頭が下がらざるをえないピカリと光り輝く「特技」があるのです。

 たしか、長男坊が五歳ぐらいのころでした。
弟の二男坊がオマルを使ったあとで母親が風呂場でオシリを洗ってやっていると、二つ年上の彼がやってきて、「ボクにも洗わせてちょうだい」-と、今にも泣き出さんばかりの頼みようです。

 仕方なくシャワーのホースを渡してやると、なんと、なんらの抵抗もなく弟のオシリの穴の周辺まで、じかに手でゴシゴシと丁寧に洗っているではありませんか。

 その後も、二男坊のオシリに続いて、三男、四男、五男、そして長女と、小さい弟妹たちが一人でシャワーを使えるようになるまで、いく度となく洗ってくれました。

 先日、弟の一人が古いアルバムを開いてクスクス笑っているので、母親が覗いてみると、それは、お兄ちゃんが彼のオシリを洗っている例の写真でした。

 しばらく、この写真を眺めていた弟は、やがて「チビ(おしり)が、くすぐったいよう!」と、むかし(?)世話をしてくれたお兄ちゃんに向って、うれしそうにふざけはじめました。

                                   具志堅 順子  

Posted by 具志堅興清 at 18:35Comments(0)妻の遺稿