プロフィール
具志堅興清
針灸開業歴四十余年。 中国針専門。 得意は脈診(みゃくしん)。 具志堅鍼灸治療院 治療時間 午前9時~午前11時 午後2時までは昼休み 午後2時~午後6時 日曜日は毎週、休みです。 公休日は治療しています。 針治療するハリは、衛生的で安全な 使い捨て針を使用しています。 新しい針灸院は、「幸地入口バス停」の奥にある「首里福音教会」前の急坂道の裏の行き止まりにあります。 西原町字幸地 586―20 が新住所名です。
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人生の「付録」

2012年02月05日

1、487―〇 『 人生の「付録」 』


 昨年末、中学校時代(名護中学校)の同記生らによって製作された「同期生アルバム帳」をめくると、けっこう亡くなった友人が目立ちます。

 多いことは多いけれど、「昭和15年生まれ」や「昭和16年生まれ」の死亡者よりは意外に少ないのです。

 私は名護高校1年終了と同時に首里高校に転校したのですが、首里高校では病気休学のため2学年を二度、3学年を二度も歩きました。

 ですから私は本来の「昭和14年生まれ」だけでなく、「昭和15年生まれ」とも「昭和16年」とも在学中だけでなく卒業後も関係しているのです。

 高校卒業後、五十余年も経つと、一番ダントツなのは「昭和15年生まれ」の同級生らの物故者が多く、次に「昭和16年生まれの」の同級生らの物故者が多いです。


 私は、その事実は明らかに「激しかった沖縄戦」がからんでいるものとみています。

 たとえば「昭和14年生まれ」は沖縄戦当時。「幼稚園生」です。

 沖縄戦当時、「昭和15年生まれ」や「昭和16年生まれ」は、幼稚園就学前の「4歳児」や「「三歳児」でした。

 戦争の影響は、幼児期の「栄養の欠乏」や「精神的衝撃度」に因って、成人後の「早世」に連結するのは疑いのない事実だと私は確信しています。

 なお、「昭和20年生まれ」の学童は終戦直後の校庭における朝礼の際、他の学年の半分しかいませんでした。

 戦争により「乳飲み子」の犠牲が如何に多いかを如実に示した終戦直後の朝の校庭風景でした。





 ちなみに58歳で早世した私の妻は「昭和19年産まれ」でした。

 私は「昭和14年生」らと同期ですが、「昭和15年の早生まれ」です。

 妻の「早世」と私の人生の早い時期における体質の大崩れ、私は「沖縄戦」が少なからず影響しているとみます。

 このような事実に思いをめぐらすと、当然、今からの自分の人生が「人生の付録」だということに気付きます。 

 つまり、今からの私の人生は「もうけもの」なのです。

 「付録」といえば、私が少年だった頃の月刊雑誌には、雑誌本体意外に沢山の「付録」が付いていました。

 むしろ「付録」欲しさに雑誌を買うときもありました。

 「付録」のほうが、雑誌本体よりも値打ちが高かったからです。



Posted by 具志堅興清 at 11:55│Comments(0)人生論